2010.3.19 |
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遇と不遇とは時なり |
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石川洋氏の心に響く言葉より…
「遇(ぐう)と不遇とは時なり」
『論語』に出てくる孔子の言葉である
諸国遊説の旅で必ずしも君公に受け入れられたわけではない
弟子の子路が
「君子も窮するか」との問いに
「遇と不遇とは時の動きによるものである」
と答えられている
生きた教説である
いうならば、不遇だからといって必要以上に落胆することはない
そういう時こそ自分を慎み、時の来るのを待つことだと
諭されているのである
若いときには
「失敗の経験を敗北としないこと」
血気盛んなる時は
「少し運が向いてきたからといって驕(おご)らないこと
老いては
「遇、不遇を淡々として深め修すること」
自戒なり
『こころの杖ことば』ぱるす出版
孔子は今から約2500年前に生まれた。
孫子の兵法で知られる、孫子も同じ頃活躍している。
私生児として生まれたとも言われ、父母とも幼い頃亡くしている。
苦労の連続で、成人し、その過程で「徳のある世」を作ろうとした。
仕官らしきことができたのは50歳の頃だったという。
しかし、そこもすぐに追い出され、
弟子達と諸国を巡る放浪の旅に出ている。
73歳で亡くなるまで、孔子を召抱える諸侯はいなかったという。
不遇の一生を過ごした孔子。
しかしながら現在では、釈迦、キリストと並んで、
世界三大聖人の一人といわれている。
論語は、孔子の死後、弟子達が孔子の言葉を書きとめたものだ。
弟子達と諸国を回っているとき、
食べるものもなくなり、惨(みじ)めな思いをしているとき、
弟子の子路が、
「不遇の時には、君子も行き詰って困り、
どうにもならなくなるのでしょうか」と孔子に尋ねた。
その時、孔子は、
「人生は、時により、うまくいくこともあり、うまくいかないこともある。
必要以上に落胆することもないし、有頂天になることもない」と答えた。
人生には、どうにもならないときがある。
小船に乗り、漕ぎ出したところ、
風や潮目が変わり、満身の力を込めようが、
いっこうに前に進まない時のようなものだ。
そんなときは、一旦港に入り、ジタバタせず、潮目が変わるのを待つことだ。
若いときの失敗はキズにはならない。
むしろ失敗を恐れ、挑戦しないことの方が問題だ。
どんなことにも立ち向かう、大いなる気概を持ちたい。
血気盛んで順調な時こそ、謙虚さが必要だ。
人間にとって一番醜いことは、驕(おご)り高ぶり、人を見下すことだ。
いいときは、気をつけていても、知らず知らずに慢心する。
老いては、幸も不幸も、禍(わざわい)も福も、
あわてず騒がず、淡々と受け止めたい。
孔子でさえ時に不遇だった。
「遇と不遇とは時なり」
深くかみしめたい言葉だ。 |
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