2010.2.18 |
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国に四維(しい)あり |
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安岡正篤師の心に響く言葉より…
『国家四維(こっかしい)』
国に四維有り。
一維絶(た)てば傾(かたむ)き、
二維絶てば危(あや)うし。
三維絶てば覆(くつがえ)り、
四維絶てば滅ぶ。
傾(かたむ)くは正すべきなり。
危うきは安(やす)んずべきなり。
覆へるは起こすべきなり。
滅びたるは復(ま)た錯(お)くべからざるなり。
何をか四維と謂(い)ふ。
一は曰(いわ)く礼。
二は曰く義。
三は曰く廉(れん)。
四は曰く恥(ち)。
「管子・牧民」
国家を維持するに、
必要な四つの大綱(おおづな)がある。
その一つが絶たれると、国は傾き、
その二つが絶たれると、国が危うくなり、
その三つが絶たれると、国は転覆し、
その四つがたたれると、国が滅亡してしまう。
国が傾いても立て直すことができる。
国が危うくなっても安定に戻すことができる。
国が転覆しても、復元することができる。
しかし、ひとたび国が滅亡してしまうと、
もはやどうすることもできない。
何を四維というか。
その一つは礼、つまり人間関係や
秩序を維持するため必要な倫理的規範・様式。
二つ目は義、つまり倫理道徳にかなっていること。
三つ目は廉、つまり無私無欲であること。
四つ目は恥を知ることである。
『人生信條』安岡正篤・致知出版社
維とは、大綱のことであり、つなぎとめるという意味もあるが、
国家の大本のことをいう。
4つの大綱が切れてしまうと、国は滅びるという。
一つ目の、礼は乱れて久しい。
先生、親、先輩、年配者、
それぞれに対する礼の欠如は目に余る。
ただ頭をぺこんと下げただけの礼も多い。
真の礼は、神道の神主さんが行う、腰を90度に折り曲げる礼だ。
普段そこまでできないにしても、ちゃんと立ち止まり、きちっと礼をする、
おざなりではない、しっかりした礼が必要だ。
礼に始まり礼に終るのが、日本の心だから。
2つ目の、義は、
信義や、忠義、あるいは道義といった、守るべき大事な価値観だが、
倫理道徳という言葉さえ、死語のようになってしまった感もある。
3つ目の、廉は清廉のことで、心が清らかであり、私利私欲がないこと。
政治の世界も、一部の企業も、損得で動くことが多い。
天下国家のため、世のため人のため、という視点が欲しい。
4つ目の、恥を知れば、卑怯なことはしない。
恥ずる心があれば、礼や義や、廉を忘れることはない。
現代の日本の危ういところは、現代人が公の心を忘れていることだ。
公とは、
自分の損得より先に、人の喜びを考えるという、
公平無私の姿勢だ。
この公の心があるからこそ、
「人の見ていないところでも、 ごみを捨てない」、
「お天道さまに恥じないことをする」、
「人様にご迷惑をかけてはいけない」、
という気持ちが生まれる。
公をなくしてしまった人は恥ずかしい。
それは…
弱いものをいじめる人であり、
自分だけよければいい人であり、
気遣いのない人であり、
惻隠の情のない人だ。
国の滅亡も個人の滅亡も同じだ。
四維を忘れたとき、国も、人も滅びる。 |
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