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2010.2.7

白隠禅師と赤ん坊

江戸時代の名僧、白隠禅師の逸話から…

松蔭寺の門前に住む
財産家の娘が身ごもってしまい、父親から、
だれの子かと激しく責めたてられ、つい、
白隠禅師の子だといってしまいます。

激怒した父親は
その赤ん坊を抱いて松蔭寺にやってきて、
「今まで尊敬していたが、人の娘に手をつけるとは
とんだ生ぐさ坊主だ。さあ、この赤ん坊を引きとってくれ」
と大声ののしって帰って行ってしまいました。

禅師は別に怒る風もなく、その赤ん坊をそだて始めました。

それで禅師の信用はすっかりなくなり、
信者も弟子も去って、松蔭寺はすっかりさびれてしまいました。

禅師は赤ん坊をとてもかわいがり、村々を托鉢して行きます。
村人の中には禅師の姿を見ると嘲笑し、石を投げたり、
塩をまいたりする者もおりました。

ある雪の日、赤ん坊を抱いて托鉢をしている
禅師の姿を見ていたその娘は、
ついに耐えきれなくなって、
ワッと泣き出すと、父親に真実を打ちあけ、
あれは白隠さんの子ではない、
といいました。

仰天した父親は、禅師のもとへ走り、
平あやまりにあやまりました。

禅師は、初めと同じように、別に怒る風もなく、
「ああそうか、父がいたか。よかったな」といって、
その赤ん坊をかえしたのです。

このことがあってから、以前にも増して信者や弟子が
松蔭寺に集まるようになったとのことです。
『君の霊格を高めよ』無能唱元・竹井出版

白隠禅師は、沼津市原に生まれ、15歳で出家し、
33歳のときに原の松蔭寺の住職となった。

「駿河には過ぎたるものが二つあり、
富士のお山に原の白隠」とまでうたわれた、
500年に一度の天才と称される傑僧。

生涯を墨染(すみぞ)めの衣で過ごしたといわれる。

我々凡人なら、激怒した父親に対し、
必死でわが身の潔白を主張するだろう。

また、娘が真実を打ちあけたときにも、
今までのひどい仕打ちを、ののしり、責める。

こだわりを捨てるというが、ここまで自分を捨てきれる人はいない。

名声、肩書き、地位、金銭、等、身についたもの、
すべてを捨てる覚悟ができたとき、
怒りや、責めることや、主張がなくなる。

濡れ衣をきせられようが、きせられまいが、
こだわらないし、言い訳しない。

白隠禅師はまさに、
「晴れてよし、曇りてもよし富士の山 もとの姿はかわりざりけり」
という、山岡鉄舟の歌のごときだ。



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