2010.1.27 |
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西郷南洲と村長 |
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淡宕(たんとう)という言葉があるが、
「宕」というのは、
岩石が山の崖下(がけした)だとか、
あるいは森の中に、
堂々たる大石としてでんと構えているさま、
これが宕であります。
スケールの大きな、確乎(かっこ)として
奪うべからざる力を持っている。
淡とは、一言でいうなら、
甘いとも苦いとも渋いとも、
なんともいえない妙味、
これを淡という。
西郷南州の晩年はたしかに、
「淡宕」という境地です。
あの人がたまたま官を去って、
帰村したときに、
村にはいろいろな問題があって、
村長が泣き言を言いにやってきた。
そしたら、西郷さんが座りなおして、
「そいじゃ、おいどんがやろうか」
と言った。
村長はびっくりした。
まさか明治新政府の参議・総督が
田舎の村長になるわけない。
冗談だと思った。
ところが冗談じゃない。
西郷さんは本気で言うておる。
つまり西郷さんから言わせれば、
自分の生まれた村の村長も、
偉勲赫々(いくんかっかく)たる
参議・陸軍大将も同じことなのであります。
スケールというか、
こういう境地というのが、「淡宕」です。
なかなかここまで行く人はいない。
人間もここまで行けば偉い。
英雄・哲人の終わりには、
時折こういう境涯がある。
誰にでもわかるのは
大西郷の最後の風格、
晩年の風格であります。
『酔古堂剣掃(すいこどうけんすい)』安岡正篤・MOKU出版
以前、校長先生がタクシーの運転手になった、
ということで話題になったことがあった。
これも、我々が、
「校長先生がどうしてタクシーの運転手に?」
と、色眼鏡で思ってしまうから、ニュースになる。
亡くなった父の知り合いに、
大きな会社の役員をやっていた方がいた。
しかし、その会社が倒産してしまい、
その方から就職の斡旋を頼まれた。
だが、その方の就職先はなかなか見つからない。
ある時、父が知り合いの
社員寮の賄(まかな)いの仕事をもってきて、
「その方をそこに紹介したいが、どうだろうか」、
と聞かれた。
私も、母も大反対だった。
そんな立派な方に、
いくらなんでも賄いの仕事は
失礼だと思ったからだ。
それを言うと、父は静かに言った。
「みんなが、そんなふうに言うから、
ずっと仕事が見つからない。
この話をして、
むこうが断れば、それだけのことだ」
と言って、相手に話してしまった。
すると、なんとその方は、その話を受けたのだ。
それも、涙を流して感謝したそうだ。
それから、長い年月、
その寮が建替えでなくなるまで
そこの賄いをやっていた。
我々は、ことほどさように、
肩書や、地位や、外見に惑わされる。
何事も、最初から、こだわりを持たずに、
淡々と考えることの重要性を父から教わった。 |
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