2010.10.26 |
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社長ありせば |
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「なぜ挫けなかったか、なぜ頑張れたか」、という副題の本
「我が心の支え」より、心に響く言葉を…
今からもう四十年も前になるが、
私が大学を出て就職、今の会社に入社して一週間程、
経った時、今は亡き父から「就職祝いに食事しよう」と誘われた。
酒好きな父のことだから、もちろんレストランなんかではなく、
小料理屋のカウンターであった。
そこで、父は「就職おめでとう」と盃(さかずき)をあて、続いて
次のような言葉を社会へ出たばかりの私に贈ってくれた。
「会社に入ると、いろいろ悩み迷うことがある。
又、右の道をとろうか左の道をとろうか判断を
決めかねることがある。
そんな時『自分が社長でありせば』と、まず思いなさい。
即(すなわ)ち、もし社長であったら、どうするか考えればよい。
そうすれば自分のことだけ考えるのでなく、
小さなセクショナリズムに陥ることなく、大所高所から見た
公平公正な判断ができる」
というものであった。
今、私は社長になっている。
しかし、私の心の基本は入社したての若い頃と、
全く変わっていない。
ずっと、いつも「社長ありせば」であったから…。
『我が心の支え』PHP研究所より、抜粋転載
これは、大同メタル工業の判治誠吾氏の言葉だ。
会社の中で、全ての従業員、スタッフがこの言葉通りの
考えで仕事をしたら、そこは素晴らしい会社になる。
社長とは、理想の社長という意味だ。
理想の社長なら、
売り物の商品を磨き、
サービスをよくし、
会社をきれいに保ち、
お客様に喜ばれることを考え、
その結果、利益を出し、
従業員に手厚くし、
会社を存続させることを常に考える。
社長にとって、お客様は、
実は社員やスタッフでもある。
社員やスタッフが喜んで仕事をすれば、
必然的にお客様を喜ばせてくれる。
スタッフが険悪な雰囲気で働いていたら、
お客様に笑顔など出すことはできない。
これは、社長でなくても同じこと。
PTA、町内、市、国…
どんな組織であろうと、
その長でありせば、と考える。
「社長ありせば」は、誰にとっても大事な言葉だ。 |
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