2010.1.5 |
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もし、玄関の前にゴミの山ができたら |
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家のゴミを出しに行く時、いつも気になることがある。
それは、ほぼ同じ場所に、同じようなゴミが捨ててあることだ。
タバコの吸殻、それにお菓子の袋の切れ端。
それを拾って、ゴミ袋に入れて一緒に捨てるのが日課となった。
もう、かなり昔の話になるが、
ディンギー(小型ヨット)に乗っていたことがある。
何かの用事で、ヨットの管理人のところに行くことになった。
ちょと小高い丘に家はあるので、
その手前に車を置いて行かなければならなかった。
書類を置いてくるだけの、ほんの短い時間だった。
ヨットハーバーの敷地内にあったので、
当然ヨットの関係者の家だと思い、
ある家の前に断りもしないで車を置いてしまった。
書類を届けて、急いで戻ってきたところ、
車の前に怖そうな男の人が仁王立ちになっていた。
そして、「お前はどこの者だ。なぜ断りもなく置いたのだ!」
とすごい剣幕で怒鳴られた。
すぐに事情を説明し、謝ったが許してくれない。
「おまえの家を教えろ!
これから行って、おまえの家の前に俺の車を置くからな!」
と、すごまれた。
平身低頭して謝り、ほうほうのていで帰ってきた苦い思い出がある。
おまえの家の前に、同じように車を置く、と言われてはじめて、
人にどれだけ迷惑をかけたのか、嫌な思いをせたのか分かった。
その家は、きっと私と同じような人が多いので、
腹に据えかねていたのだろう。
ちょっとの時間だからいいだろう。
小さなゴミだから捨てても許されるだろう。
みんながやっているから、私も…
もし、そんな時に、怖い人が出てきて、
「おまえの家は、…」と、やられたら…
捨てられたゴミは、誰かがきれいにするから、
道路はきれいになっている。
ゴミが何十年と捨てられたままだったら、
きっと玄関の前はゴミの山で埋め尽くされているだろう。
誰かがやってくれるだろう、
だれも見ていないから大丈夫、
と、思うのは、甘えであり、幼稚な子供そのものだ。
昨今は、後始末をすることができない大人が増えている。
始めることは誰でもできるが、
後始末がきちんとできてこそ、物事は完結する。
我々は、人の気持のわかる、甘えのない、立派な大人でありたい。 |
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