2009.12.12 |
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特殊性なくして普遍性はない |
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安岡正篤師の心に響く言葉より…
【特殊性なくして普遍性はない】
「日本人だとか、イギリス人、アメリカ人とかいうものはもう古い。
われわれは国際人でなければならん。世界市民でなければならん」
というのは、それは松とか梅とかいうのは駄目だ、
木でなければならぬというのと同じように、それこそ文字通り空論であります。
必ず立派な世界市民、国際人は
必ず立派な日本人、立派なイギリス人、立派なアメリカ人か何かである。
それでなければ立派な世界市民、国際人にもなれません。
また、本当にこの個性、特殊性を持って初めて他の特殊性にも通ずる。
これが一般性であります。
たとえば本当の日本人ならば本当のイギリス人と必ず共鳴する。
本当のアメリカ人が本当の日本人を見たら、本当に共鳴するのです。
日本人だか、中国人だか、タイ人だか何だかわけがわからんという
国籍不明の日本人などを外国人が見たら実に不愉快に感じる。
これは厳粛な事実であります。
『人間学のすすめ』福村出版より
昨今の教育では、この特殊性を排除する傾向にあるように思える
運動会や学芸会や通知表で…
運動会で、みな一緒にゴールインさせ、一等もビリもない
幼稚園の学芸会で、白雪姫が20人もいたり、桃太郎が何人もいる
小学校の通知表も、五段階はあまりなく、三段階や、○や◎で評価する
しかし、社会に出れば必ず競争はあり、順位はつけられる
国際人になれ、とは日本人を捨てろ、ということではない
最近では、少しずつ、若い人たちの中に、
日本を愛する人たちが増えてきたが
それでもなお、日本を馬鹿にしたり、悪口を言う人も多い
「愛国」という言葉には、拒否感を持つ人がいる
しかしそれを、「サッカーの試合のとき、国歌を歌い、国旗に敬意を払うか」
と質問するとわかりやすい
学校で「国歌を歌ったほうがいいか?」
などと議論する国も、おそらく世界中で、日本だけだろう
国際試合で、フーリガンと化すような応援は問題外だが
自国を応援し、自国の勝利に喜びの涙を流すのは、あたりまえの行為だ
自国の国旗に敬意を表し、国歌を大事にするからこそ
他国の人も敬意を払ってくれる
どの国の国歌が吹奏されても、皆きちっと立ち上がり、帽子をとる
これが立派な国際人であり、立派な日本人だ
海外に長く暮らしていた人には、立派な日本人が多い気がする
長くいると、外国の文化に染まってしまうように思うが、
決してそうではなく、逆に日本のよさや、大和心に目覚めるからだという
すべての事象は、特殊性を抜きにしては
普遍性や一般性もない
特殊性は個性だ
自分の個性を大事にする人は他人の個性も大事にする
家族を愛し
友人を愛し
会社を愛し
郷土を愛し
そして、国を愛する
我々は、常によき日本人でありたい |
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