2009.12.6 |
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逆転のために |
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城山三郎氏の心に残る言葉より…
【逆転のために】
ハワイアン・オープン最終日。
ストレスのかかった最終ホール。
そこで百メートルあまり離れたところからボールを打って、
直径二十センチほどの穴に入れて、青木功選手は逆転優勝した。
神がかりというか、よほどの偶然というか。
だが、後にテレビで青木選手は「偶然とだけはいえぬ」といい切った。
そのとき使ったのは、よく練習を積んだ道具(クラブ)だったし、
またよく練習していた距離であった。
「入る可能性を求めて練習してきた。そのおかげで入ったのだ」と。
いい言葉である。
彼等もまた終生戦国の身。
それを支えているのが、これなのだ。
人間に裏の裏の裏があるように、人生にも逆転また逆転がある。
そのために、心ならずも深く生きることになるかも知れぬが、だが、
それでこそ生きた甲斐があったということにもなろう。
わたしは『かもめのジョナサン』の著者リチャード・バックの言葉を思いだす。
「たいへんだったが、しかしすばらしかったといえる人生をおくりたい」
『打たれ強く生きる』日本経済新聞社より
我々は、辛いとき、耐えられないとき、奇跡が起こることを望む
しかし、ただ望んだり、祈ったりするだけでは何も変わらない
自ら運を引き寄せようとしない、他人頼りの待ちの姿勢だからだ
努力に努力を重ね、必死の修行を重ねてきた者だけに奇跡は起こる
神からのご褒美ともいうべきものだ
努力する者には、必ず何かしらのチャンスがやってくる
そしてそれが、思いもかけない「大逆転」へとつながる
たとえ、それがどんなに実現性が薄くても、
可能性がゼロパーセントでなければ…
最後まであきらめない人
希望の炎を燃やし続ける人
成功を信じて、コツコツと努力し続ける人、に
「逆転」の奇跡は起こる
波乱万丈の生涯の最後に
「すばらしい人生だった」
といえるような生き方をしてみたい |
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