2009.11.22 |
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うつくしび |
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春日大社の宮司だった
葉室 ョ昭(はむろ よりあき)氏の言葉から
【〈うつくしび〉とは】
「うつくしび」といえば誰でも「美」という字を思い浮かべますが
これはもちろん当て字で、この字をいくら解釈しても
日本人がどのような状態をうつくしいと感じたのか
まったくわかりません
日本人は昔、「うつくしび」に「徳」と言う字を当てはめました
(中略)
中庸(ちゅうよう)という言葉がありますが、
私は中庸とは物事を対立したものと考えるのではなく
すべてのものをいとおしむこころ
すなわち寛容のこころのあらわれであると思うのです
日本人は昔から、移り変わり
つまり「むすび」の中に神を見るという
素晴らしい人生観を持っています
外国の人は昼か夜か
善か悪か、賛成か反対かなど
物事を対立して考えますが
日本人は夕方、西の空に沈む真っ赤な夕日の姿に感動し
それを神さまのお姿として拝むように
昼から夜に移り変わる夕方に神を見てきました
このように日本人は対立ではなく
いわゆる中庸に神を見る民族ですから
「うつくしび」に「徳」という字を当てはめたのは
すべてのものをいとおしむ神さまの中庸のこころが
あらわれていること
すなわち神の姿があらわれたときに
日本人は美しいと感じたのではないかと私は思うのです。
夕方は、昼から夜に移り変わる姿でありますが
同時に昼と夜を結ぶ姿でもあります
この「むすぶ」(結ぶ)は、また「ゆう」(結う)
ともいい、「結納」とか「髪を結う」などと使われているように
二つのものを結びつけるという意味があります
この「むすび」によって
そこに神のいのちがあらわれてくるのです
『神道と〈うつくしび〉』春秋社より
日本人は曖昧(あいまい)さ、を好む民族だと言われる
現代では、曖昧さや婉曲(えんきょく)な表現は批判される
合理的で黒か白かをはっきりさせることが必要だという
しかし、ほんとうにそうだろうか?
二元対立(にげんたいりつ)の欧米社会が
今までずっと正しかったわけではない
正か邪か
善か悪か
幸か不幸か
生か死か、の二つに一つ
二元対立で割り切れないことは多くある
(正か邪か)
「正しいと思っていたことが、間違っていた」
過去何十年と信じられていた
土地は絶対に上がるという土地神話も
実は、今では下がりに下がっている
絶対に倒産しないと思われていた
銀行や大会社がバタバタとつぶれる時代
(善か悪か)
「善人だと思っていたが、悪人だった」
清純派といわれた女優が実は…
正義の味方と思った警察官や、教師の不祥事もある
(幸か不幸か)
「幸福だと思っていたが、本当はそれが不幸なことだった」
お金持ちで幸福そうだと思っていたら
甘やかされ、罪まで犯してしまう金持ちの子息たちもいる
(生か死か)
「生きながらにして、死んでいる人もある」
亡くなってもなお、この世に素晴らしいメッセージや
教えが、連綿として伝えてくれる、過去の偉人もいるし、
亡き両親や祖父母の教えもある
この世に生がなくても、みんなの心に生きている
また、世に害をなす不逞の輩や、
まわりの人を気分悪くし
嫌な思いにさせる最低の人間もいる
そういう人間は、生きながらにして、死んでいる
人は、「生まれたら必ず死ぬ」という事実以外は
確かなことなど、何もない
日本人は古来、不確かなところに美を見た
危ういところ、もろいところ、繊細なところに
「うつくしび」を感じた
昼と夜を結ぶ時間を、欧米ではマジックアワーと呼び
『人生で最も輝く瞬間』という
夜と朝を結ぶ、未明、暁(あかつき)の時間は
一日の始まりの時間で、神道では最も大切なとき
「うつくしび」という徳を積むため
人と人の結びを大切にし
曖昧さを受け入れ
あやふやで不確かな時代を生き抜きたい |
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