2009.9.30 |
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浄玻璃(じょうはり)の鏡 |
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人間には死んでからあの世に持っていけるものが
二つだけあるという
一つは
「人に与えた喜び」
もう一つは
「人に与えた悲しみ」
どんな財産も
車も
愛用した物も
豪邸も
社会的地位も
自分の体も
そして、自分の思い出も…
あの世には持って行けない
持っていけるのは、知らず知らずに
人の心に与えた喜びと悲しみだけ
浄玻璃の
鏡の前に立つまでは
秘めておきたし
あのことも
このことも
(相田みつお)
仏教では浄玻璃の鏡というのがある
亡くなってあの世に行く前に
誰もが一度は浄玻璃の鏡の前に立つそうだ
すると
生まれてから死ぬまでの間の
人に与えた喜びと人に与えた悲しみが
走馬灯のように一瞬にしてその鏡の中に再現される
人に与えた悲しみが多ければ
身もだえするような苦しさとなり
いてもたってもいられないほど
深い悔悟の念にかられ針のむしろとなる
その状態を地獄という
人に与えた喜びが多ければ
無上の喜びがこんこんと湧いて
笑顔がこぼれ、うれしくて、楽しくて仕方なくなる
それを天国という
一度、人に与えてしまった悲しみは
取り消すことはできない
だからこそ
今日(こんにち)、ただ今からの人生は
人を喜ばせることだけを多く考え、実行することが必要だ
人に喜んでもらうことこそが、今生の我々の使命なのだと思う
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