2009.9.17 |
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西郷隆盛の魅力 |
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大分中津藩に増田栄太郎という若者がいた
彼は福沢諭吉の身内であったが、福沢の教えに共感できず、六十数名の若者を連れて
西郷隆盛の下に走った
西南の役に破れ、いよいよ彼らに最後のときが来た
彼は若者達を郷里に帰し、次のような手記を残している
かの人(西郷)は誠に妙な人物だ
一日接すれば一日の愛が生ず
三日接すれば三日の愛が生ず
しかれど接する日を重ね、
今や去るべくもあらず
故に事の善悪を超越し
かの人と生死を共にする他
我が生きる道はなし
そして、自らは西郷と共に自決していく
いったい人間の魅力とは、如何に生まれるのか
それは
与(よ)によって生じ
求(ぐ)によって滅していく
不思議なものである
(行徳哲男)
たった今別れたのにすぐにまた会いたい
と思わせる人は魅力ある人です
無償で与え続ける人に人は惹(ひ)かれます
もらうばかりの人
与えられるのが当然だと思っている人から
人は離れます
人の好き嫌いは理屈ではありません
魅力とは自然とにじみ出てくるものです
『桃李成蹊』 (とうりせいけい)
桃李不言 下自成蹊
桃李もの言わざれども
下(した)おのづから蹊(みち)を成す
(史記)
桃や梨はものは言わない
しかし、その花の美しさやかぐわしい香りを求め
人が集まり、木の下に自然と道ができます
本当に魅力があるなら
人に宣伝したり、知らせたりしなくても
まわりがその人を求め、集まってくるのです
善悪を超え
生死もともにしたくなるほどの魅力
そんな魅力ある人間を目指したいものです |
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