2009.9.13 |
|
邯鄲(かんたん)の夢 |
|
不遇な身の上を嘆く盧生 ( ろせい ) という若者が、
邯鄲 ( かんたん )の茶店で呂翁 ( りょおう ) という名の道士に会った。
茶店で、呂翁から自分の思いどおりの栄耀栄華ができるという
不思議な枕を借りて、うとうと眠った。
その枕の中に入ると、盧生は名家の娘を娶り、
仕官の試験に合格して官吏となり、宰相にまで上り詰めた。
一方で政変にも巻き込まれ、濡れ衣をきせられ、囚われの身となり、自殺まで考えた。
田舎で百姓をやっていればこんなことにはならずにすんだものを、と嘆いた。
しかし、周囲の助けもあり、疑いも晴れ、再度高官に戻ることができた。
やがて、晩年を迎えた盧生は大勢の親族に囲まれ幸せの内に亡くなった。
盧生があくびをして目を覚ますと、まだ元の茶店にいて、
黄粱(こうりょう=あわ)が炊き上がっていないほどの短い間のことだったそうだ。
『枕中記より』
この物語を、「邯鄲の夢」とか
「黄粱一炊(いっすい)の夢(粟を炊く間の夢)」といいます。
天下人に登りつめ、栄耀栄華を極めた豊臣秀吉は
「露(つゆ)とおち 露と消えにし わが身かな 難波(なにわ)のことも 夢のまた夢」
という辞世の句を残して61歳で亡くなりました。
難波の広壮な大阪城や、金箔の聚楽第(じゅらくだい)も、
つかの間の夢のようなものです。
どんなに、お金を持とうが、
広壮な屋敷を手に入れようが、
後宮何千人であろうが
人はいつか必ず亡くなります。
人生は、あっという間のドラマです。
いかに生き、いかに死んでゆくかが問われます。
|
|
|